坂本勇人の魅力

坂本勇人を見ていると時の流れをなによりも感じる。 

遡ると11年も前になる。親父の影響もあり、当時から大の巨人ファン。少年野球でショートをやっていた自分にとっては彼は誤解を恐れずに言うと「複雑な存在」だった。その時の不動のショートは二岡智宏。好きなチームの同じポジションの選手で、当然一番好きな選手だった。そんな時に現れた眩しいくらいに輝く19歳。松井以来の10代開幕スタメン。プロ初本塁打は当時リーグ最年少の満塁本塁打、そしてそのまま定位置を掴み全試合に出場–。おまけに端正なルックス。誰がどうみても次世代のスター候補。けど、大好きな二岡にも頑張ってほしい・・そんな気持ちがいつしか彼への嫉妬心に変わってしてしまっていた。無駄にイケメンだし、ちょっとチャラついた雰囲気を見るや「なんか巨人らしくない」という支離滅裂な批判をしていた。だがそれは大きな勘違いだった。彼を見る目が大きく変わった試合がある。 

プロ野球を見ていて「初めて涙が出た瞬間」

2010年4月15日。もうこの頃の坂本は完全に「若きチームリーダー」としての地位を確率し、4連覇を目指すチームを1番打者として引っ張っていた。二岡も08年オフに日本ハムへトレードが決まり、私自身も普通に応援できるレベルにはなっていた。この日は同年7日に亡くなった木村拓哉の誕生日。まだショックが消えない中で、チームは「タクさんの誕生日だから絶対勝とう」と試合に臨んだ。この日はエース内海哲也(現西武・投手)が好投を見せるが、打線は空回り。阪神メッセンジャーに6回まで0点で抑えられていた。そして迎えたラッキーセブン。1アウト満塁でバッターは坂本。当時坂本が一番多く「二遊間」を組んでいた選手が木村拓也だった。その時の球場の歓声、実況の雰囲気、投手を睨みつける表情。決してプロを語れるレベルじゃない野球少年の自分でも「あ、これは打つ」と思った。そんな間も無く初球–。わずかに泳がされたが打球はグングンと伸びて、ギリギリでスタンドに入った。逆転満塁ホームラン。「タクさんの力がホームランにしてくれた」そう言った坂本はダイヤモンドを一周した後のベンチで涙を浮かべていた。あの時の事を今でも鮮明に覚えている。次の日にたまたまグローブを買い替えを考えていた自分は田舎にはなかなか置いていなかった坂本モデルのグローブを親に頼んで買った。あの日から正真正銘、坂本勇人の大ファンになった。

坂本勇人「主将」が何よりも手に入れたかったもの。

それから年月は経ち、坂本は日本を代表するスター選手へと成長を遂げていた。念願だった主要打撃タイトルである首位打者を獲得。守備でも2016、2017年とゴールデングラブ賞を獲得。また世界一を決める国際大会WBCの日本代表として2013、2017と二大会連続で選出されチームの主軸として活躍。阿部慎之助から主将を引き継ぎ、名実共に野球界の顔。だが一つだけ手に入れてなかったものがあった。それは「主将としての優勝」。チームは坂本が主将を任せられた2015シーズンから入れ替わるように衰退。なんと2017年にはBクラスに沈んだ。そんな中迎えた2019年。原辰徳の監督復帰、そして「最強のFA戦士」2年連続セリーグMVP丸佳浩を広島から獲得。様々な追い風が吹く中、令和元年坂本勇人の年が始まった。

 

※後編は次回更新します(^ ^)